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ケントメリーのセカンドライフ
 Ken&MerryRETIREMENT

 Ken&Merry・・・人生終末時計は今、午後6時過ぎ・・・・
『予期せぬ早期退職』  

《セカンドライフ》をどう生きるか。


子供も自立し夫婦二人だけになった50歳代半ば。
仕事に追われる毎日で休みも満足にとれず働くだけの日々が続いていたが、その頃からリタイア後のセカンドライフについて考え始めていた。
考え考え、そして、到達したセカンドライフ目標は
≪自由に生きる!≫
そう、何にも束縛されず自由に生きるための旅行をする。
しかし自由に旅するには資金が要る。どのくらい、どんな旅をするのか。
旅の内容は≪海外・国内・温泉・札所≫の4つに分ける。
そして、予算はどのくらいかかるのか?
予算配分は海外50%・国内20%・温泉15%・札所15%=100%
65歳〜75歳の10年。
老後は旅行だけではない。果たして準備できるのだろうか。
退職まで秒読み開始し、エンジン全開で最後の仕事に向かっていた頃、突然、予定より5年も早くリタイアの日が
やってきた。 

 『セカンドライフの設計』

セカンドライフ計画まであと5年。
65歳でリタイアし『セカンドライフ』をスタートする計画が状況が変わり早期退職で5年早まることになる。
準備の途中で退職し果たしてセカンドライフはどうなるのか、アン・ハッピーリタイアになってしまうのか。
ハッピーリタイアの為に全力で走り続けてきたのだから夢は実現しなければ苦労した意味がない。
計画を5年前倒しし実行できるか、老後の生活に必要なもの全て、病気や怪我で入院した場合、いずれ
やってくるどちらか先立つ事態まで想定、僅かな出費までいれ明細を作ってみる。
セカンドライフに必要資金は負債はないので、退職金/預貯金/公的+個人年金/遊休土地売却など。
そして退職時期が近づいてきた頃会社から嘱託勤務の話しがある。
完全リタイアするより精神的にも経済的にもありがたいとその話を引き受ける。

≪自由に生きる!≫
という目的からは少し後退したが、年間50日の休暇をとらしてもらう事で勤務を続けることになる。

 『セカンドライフ計画の実現』

計画は立てたものの この年になると夫婦の
健康もさることながら、外的要因で計画が頓挫せざるを得ない場面も予想される。
2006年暮れの、スペイン・ポルトガル旅行直前、義兄が緊急入院という事態が起き、海外長期不在は出来ない状況になり、国内旅行に変更した。
そんな分けで毎年計画通り実行できるかどうかは不透明。
中止や変更も余儀なくされる場面も覚悟しておかなければならない。
しかし旅行というのは計画する段階ですでに楽しみや喜びが始まっていて、途中で計画が頓挫した場合でも旅行の半分は楽しめた事になる。
そしてその時調べた情報や集めた資料などは次の機会に生きてくるので無駄にならない。
65歳〜75歳までは計画したが、平均寿命のその頃までは予定しているが果たしてどうなるのだろうか。
その前で終わる場合もあり、長生きして健康なら延長もあるわけで、できれば延長の方になってくれるといいのだが。
人間の運命なのでわからない。

 『人生終末時計は午後6時過ぎ』  リタイアは『あの世・サードライフ』へのステップ 

人間の一生を一日に置き換えてみると、
K&Mの終末時計は今、夕方6時を回ったところ。
セカンドライフと併行して人生の終焉も考えていかなければならない。
Ken&Maryどちらが先に逝くかわからないが準備はしておこうと思う。
それは全く想像出来ない状況なので、亡き父母の姿や友人・親戚、テレビ・ラジオなどで見聞きはするがその身に
ならないと解らない。
【終の棲家探し⇒】
『人生NO-SIDE』まで終焉時計で あと5時間弱。
1993年母が亡くなる一ヶ月前病院で母のベッド脇に簡易ベッドを持ち込み一週間看病した事が思い出される。
本当に死を悟った時の母の様子は今も忘れられない。
いつも明るく冷静な母が取り乱し、わがままな事を言い困らせた事など。
健康な今は、冷静にセカンドライフの次のステップについて考えられるが、現実その時になってみないとやはり想像の域でしかないが誰にも必ずそのときは来る。
だからできる限りそれまでは≪自由に生きたい≫ 

『セカンドライフ予定表』   
2005年〜
1 海外・国内旅行
2 札所めぐり
3 温泉
4 映画・観劇・舞台・音楽
5 日帰りトレッキング
6 英会話
7 水泳(コミュニティセンター)
8 ゴルフ
9 病院定期検診
10 お墓参り(Ken&Mary実家・兄・姉・など6ヶ所)

 『 NO-SIDE 』
 ノーサイドの精神について
『ノーサイド』の精神
ノーサイドはラグビー用語で試合終了のこと。
試合中は敵を倒し勝利を手にするために全力を尽くすが、ひとたび試合が終れば、勝敗に関係なく敵味方のサイドを取り払い、お互いの健闘を称えあう精神それが『ノーサイド』。
ラグビー選手は、各々自軍のベンチからグランドへ入場し、試合が終了すると 両チームの選手が同じベンチへ退場し、同じシャワールームでともに汗を流す事とされている。

陣取りゲームであるラグビーは、楕円のボールを相手ゴールに付ける(トライする)ことで点が入る。
敵味方にそれぞれサイド(敵陣、自陣)があり、敵陣に突入し合ってトライを目指し攻防を競う。
そして試合が終われば敵も味方もなくなり、サイドもなくなるので『ノーサイド』になる。


『スポーツマンシップ』は、それを具体化したラグビーの精神『ノーサイド』に代表される。  フェア・プレーを尊重して、相手選手に対するマナーや尊敬の念、同じ競技を愛する仲間としての意識を謳ったことばで、日本の武道でも「礼に始まり礼に終わる」のは、格闘技など『スポーツマンシップ』が無くなると単なるケンカになり下手をすると殺し合いになりかねない、『スポーツマンシップ』の精神は双方に人格形成を重んじる考え方がその根底にある。 『ノーサイド』はグラウンドの選手だけのもので無く、人間としてとても大切な精神だと思う。

ホームページタイトル『NO-SIDE』は大好きな松任谷由美さんの歌から命名

松任谷由実・作詞作曲
16枚目のオリジナルアルバム。
1984年12月1日リリース、歌詞では季節は2月となっている。
歌のモデルは天理高校対大分舞鶴高校の試合といわれている。

彼は目を閉じて 枯れた芝生の匂い 深く吸った
長いリーグ戦 しめくくるキックは ゴールをそれた
肩を落として 土をはらった
ゆるやかな 冬の日の黄昏に
彼はもう二度と かぐことのない風 深く吸った。
何をゴールに決めて 何を犠牲にしたの 誰も知らず
歓声よりも長く 興奮よりも速く 走ろうとしていた 
あなたを少しでも わかりたいから。
人々がみんな立ち去っても私ここにいるわ。
同じゼッケン 誰かがつけて
また次のシーズンをかけてゆく。
人々がみんな あなたを忘れても ここにいるわ。
何をゴールに決めて 何を犠牲にしたの 誰も知らず
歓声よりも長く 興奮よりも速く 走ろうとしていた 
あなたを少しでもわかりたいから。
人々がみんな立ち去っても私ここにいるわ。






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